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 CEO Message

 2012年初夏、出版社に勤めていた私のもとへ博報堂時代の後輩が訪ねてきました。「久保田さん、再生可能エネルギーが今ホットになってる事知ってますか?」ニヤニヤしながら、ネット上の再エネ情報をコピペした紙を大量に置いていったのです。私はそこで、大震災の後に再エネ法が制定され、20年間の定額買取制度が今まさに始まろうとしている事を知りました。買取り価格が世界の中でも非常に高く、「事業者の利益を考えて」の一文もあるように事業者に有利な設計であること、全くの新しい市場が生まれようとしていること。「これはやり方によっては絶対うまく行く!」そう確信した私は、法人化を目指していた彼の誘いに乗り、すぐに会社を辞め退路を断ち再エネビジネス起業に乗り出しました。「エ、ホントに会社辞めちゃったんですか」彼の驚く顔が今でも思い浮かびます。彼の名前は佐藤治君。8月に亡くなってしまいました。昨日ご自宅に弔問に伺い、鶯谷の居酒屋で彼の昔話をしているうちに、様々な事を思い出しました。

 

 初期メンバーの私以外の3人は別の仕事をしながらの片手間だったので、能書きばかりたれて全然働きません。佐藤君もそうだったのですが、ある時期本業の方がうまく行かなくなったらしく、1か月だけGEトラスト業務を真面目にやってくれました。その時の動きが凄かった。ネット上で発電所の買主となりそうな会社に100本以上アポTEL攻勢をかけ、数多くの商談、アライアンス構築をセットしてくれたのでした。これをきっかけに、その後1年程度時間はかかったのですが、メインのお客様たちを獲得することが出来たのです。ただ、発電所事業は年単位で時間がかかります。なかなかキャッシュが入ってこない状況に彼は焦り、「あと3ヶ月くらいでお金は入ってくると思うけどねえ」と私が言うと、「この先心配で眠れないんです。子供も小さいし、それに賭けることは出来ません」と言って彼は去っていきました。

 

 私が言った通りに3か月後に大きな入金があり、GEトラストは一息つきました。その後も順調に事業を進め、いくつもの太陽光発電所を開発・販売し、自社でも発電所を持つところまでこぎつけました。2年前「私の会社もやっと経費を使えるようになったので」と彼から連絡があり、お詫びと共にちょっとお高いフレンチをおごってもらいました。彼に対する思いは複雑なんですが、やはり率直に生きていて欲しかったなあという気持ちです。「人は、誰かが記憶しているうちは生きている」という言葉もあります。これからも折に触れ、オサム君の事を思い出してあげようと考えております。

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